追悼の意味を込めまして、野村監督の本を紹介します。
【1.本書の紹介】
野村監督は「運」というものは、勝手に降って湧くものではなく、正しいプロセスに気づくことだと言っています。
その人の日々の正しい行いや態度によって与えられるものだといっています。
正しい努力をした人に運は降りてくるのであり、努力もしていない人に運は巡って来ないものだと言っています。
その通りだと思います。
今回も、努力の大切さを説いています。
【2.本書のポイント】
理を持って戦う。それは私の根本的な考え方だ。理にかなわないことはけっしてない。私の勝負哲学の基本は、常にそこにある。どの世界にも。「同じような努力をしているのに、なぜか良い結果が出る人と、良い結果が出ない人がいるのはどうしてだろう」ということがあるはずだ。その理由をよく検証してみると、「正しい努力かどうか」が、結果を分けていることが多い。「グランドの練習は全員同じようにやっているから差がつかない。問題は全体練習終了後、次の日の練習や試合までの間にどれだけ自分で練習するかだ」レギュラーの座を奪われた人と、チャンスをつかめなかった人と、チャンスをつかんだ人の差は、実力ではなく、準備ができているかどうかの差だったのだ。自分で考えて、自分で答えを見つけて、結果を出すこと。それがプロなのだ。一度掴んだチャンスを流さないためには、同じ努力を繰り返しているだけでは足りないのだ。大事なのは、勝った時や成功した時に、さらにその上を目指すことが出来るかどうか。それがその先の成長を決めるのだ。根拠のある読みを可能にするための研究をしよう。チームのピッチャーの情報や資料を集めて徹底的に研究してみよう。野球は確率のスポーツである。どちらがどれだけ成功する確率が高い作戦を選んで実行できるかの勝負である。その確率はデータの集積と分析によって、どれだけ精度の高いものにできているかで決まる。持たざる者だからこそ考え、工夫し、努力を重ねなければいけない。そしてそれは不運なことではなく、運がいいことなのだ。メジャーで二度も三冠王を獲得した「野球史上最後の四割バッター」であるデッド・ウィリアムスは、その中でこう書いていた。「ピッチャーはキャッチャーのサインを見終わって投球動作に入る時は、スピードボールを投げるか、変化球を投げるか100%決めている。そこには小さな動作の変化が出てくる。それを見極めればピッチャーが何を投げてくるかわかる。私はピッチャーが次に何を投げてくるか8割くらいの確率でわかっていた。」目からウロコとはこのことだった。野球全体がよく見え、よくわかるようになってくる。野球がますます楽しくなってくる。野球をやるのが面白くて面白くて、毎日、早くグランドに行きたくてしょうがない。これで打てないはずがない。考えること。気づくこと。感じること。これが運につながるのだ。私はいま、改めてそう思っている。予防しないままにしておいて不運とは言えない。それは備えが足りなかったと言うべきなのだ。だれしも、どこか目的地に辿り着くためには、必ずその途中の道を歩いて行く。その行程で、どの道をどのように歩いていくかが重要なのだ。プロ野球の指導者や評論家であれば、結果が出る前に根拠のある予測ができなければいけないし。それがどういう結果になったとしても、結果論で「良い」「悪い」断じるのではなく、なぜそういう結果になったのかを正しく分析して伝えなければいけない。ちゃんとそういう夢を持っている人と結果論でしかものを言えない人の差は何か。それは「正しいプロセスを経ていたか」ということを常に考え、チェックすることができているかどうかだ。プロフェッショナルとは、正しいプロセスを経て結果を出すべくして出すこと。結果よりもプロセス重視の方が、根拠のある運に巡り合う可能性があるはずだということだ。見逃し三振を避けて当てに行くよりも、根拠のある見逃し三振をしたバッターの方が、次にはその根拠によって打ち勝つことにつながる。根拠さえあれば、見逃し三振は恐れるに足らずなのだ。失敗と書いて「せいちょう」と読む。私は常々そう言ってきた。実力以上に人間性や姿勢が大切であり、それは周囲の評価が本人の運に繋がると言っていいだろう。人間の存在価値とは、周囲の評価によって決まる。私がなぜ野球の神様を信じているのか。それは、努力を信じているからだ。努力はいつか必ず報われる。私はそう信じて努力をしてきた。自分の能力の無さをカバーするためには、人一倍、努力をするしかない。配球の正攻法では対応しきれない時に、ささやき作戦という奇策を取ったのだ。ささやきの目的は、おもに2あった。ボソボソと何か話しかけることによってバッターの集中力をそごうという狙い。もう一つは、球種を読まれないためのカムフラージュだ。私は試合が終わった後は、「誰に何をささやいて、どういう結果になったか」ということを、その都度ノートに書き込んでいた。何を成し遂げたいのか。そのためには何をするべきか。そういう思いが自分を変え、運を切り開いていく原動力になるのだ。私はプロ野球に入団した時から、「まじめに頑張っていれば、見てくれる人は必ずいるものだ。」と信じてやってきた。どうすれば、この仕事は楽しくなるか。それがわかれば、「どうすれば、この仕事はうまくいくか」が見えてくる。それは「正しいプロセスとは何か」に気付くということだ。それに気づけば、必ずチャンスがやってくる。それこそが運の正体なのではないか。チームのために自己犠牲を厭わない人には信頼が集まる。我欲を捨ててみんなのために働ける人には多くの協力者が現れる。チャンスや運というものは、そういう人にこそ訪れるものなのだ。「君は何をするためにこの世に生まれてきたんだ?」人間的成長なくして野球選手の成長なし。プロ野球選手である前に社会人であれ。人柄はいい選手は、野球の実力はともかく、みんなをいい気持ちにさせてくれる。人柄とは、知識に勝るものなのだろう。人柄がいい人には、人望という得難い財産があるのだ。「流れ」を私なりに定義するとすれば、「勢い」であり、「雰囲気」であり「感性」である。感性とは、感じる力であり、気づく力である。同じものを見ていても、ちゃんと感じ取れる人と何にも感じ取れない人がいる。一流と言われる選手が身につけている。「感じる力」を二流以下の選手は持っていない。感性が優れている→流れを読み取る力がある→チャンスをつかむ→運を逃さない→チャンスに強い→運が強い→自信を持つ→更に感性が磨かれる・・・感性と感情が流れを左右する大きなポイントだとすれば、感性を磨き、感情をコントロールすることによって、流れをつかむこともできるはずである。無形の力とは、たとえば、観察力や情報収集力、分析力や洞察力、記憶力、判断力、決断力といったものだ。頭を使い、知力と感性を働かせて戦えば、有形の力だけでは勝てない相手に勝つことができる。それが無形の力だ。人間は、「自分はこうなりたい」という思いがあれば、そこに近づくための努力をして、成長する生きものだ。スランプのせいにしてしまうと、自分で自分の限界を決めてしまうことになる。結果が出ないのは、そこに必ず原因があるのだから、まずそれを必死で見つける努力をして、それが見つかったら一生懸命に克服する。スランプのときは、汗を出せ。スランプというのは、体以上に精神的な部分で思い悩んでいることが多いから、まず、体から汗をどんどん出してスッキリして心を軽くする。そのためには、走るのがいちばんいい。「とにかく、走れ、走れ。走って汗を出して、走って下半身を鍛え直せ」それをもっとも忠実に実践していたのが金田正一さんだった。「走れ、走れ」で400勝。とにかくいつ見てもよく走っていた。
【3.本書の感想】
野村監督の本のページをめくっていると、野村監督が話しかけてくるような感じがします。
面と向かって話を聞くと緊張すると思いますが、本だったら大丈夫です。(笑)
しみじみと努力の大切さを教えてくれる感じがします。
監督の趣味は努力なんじゃないかと思うほど、肉体的にも頭脳的にも酷使した結果を惜しげもなく紹介しています。
野球人としてだけでなく社会人としても大切な事を教えて頂いています。
この教えを次の世代に繋ぎたいと思います。
400勝投手の金田正一さんという大投手が、昨年の10月に野村監督よりも一足先に、天国に行かれました。
金田正一さんが思いっきり投げたくて、野村監督を招集したのかも知れません。(笑)
ひょっとしたら、良いバッテリーになっているかも知れませんね。
天国で、お二人で大活躍していることをお祈りしています。
この二人ならケンカばっかりしてそうですが。(笑)
野村監督の本は、その経験から来る、人間の真理を捉えた言葉に魅力を感じます。入手困難かも知れませんが、図書館等でも是非、御覧ください。
【4.関連書籍の紹介】
野村監督の珠玉の言葉が満載です!
www.fukuikeita21.com最後までお付き合い頂きましてありがとうございました!