京都のリーマンメモリーズ

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読書は武器だ! 「読書という荒野」 見城徹 幻冬舎

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編集者であり、現在幻冬舎社長という出版業界の1丁目1番地にいる見城さんが、「読書論」を語ります。
 
帯の推薦者は秋元康、本の編集は箕輪厚介
 

この本、面白くないはずがありません!

 
、読んだ感想は・・・重い。です。
 
リラックス感ゼロです。
 
強面のおじさんに、終始脅されているような感じになります。(笑)
 
自分よりももっと過酷な状況に生きていた人間の本を読み、今の自分が真剣に生きているか?を問い反省し続けることで、人生が成功へと近づく。
 
理念を追求し続けた人間の魂の叫びをしっかりと捉えて、生きていく武器
にしろ!
 
単なる情報の羅列はなく武器である!という、見城さん独特な読書論が展開されています。
 
作家とは心の中に表現したいものが溢れかえっていて、それを出さないと生きていけないからもうすでに書いている。
 
だから作家である。
 
今から、何書こうかな~と考えている人間は作家ではないと言います。
 
見城さん自身は、天才たちを見て自分には天才達が持つ情念は無いとそう思い、天才をアシストする編集者へと進みました。
 
本を読む。
 
よく読む。
 
もっと。もっと。よく読む。
 
そして、作者の魂の叫びが身に染みてくるくらいに読む。
 
そのメッセージを感じることで、今を生きる力が与えられる。
 
深い読書を積み重ねることで、人生はもっと濃く生きることができる。
 
そんなメッセージが散りばめられています。
 
ポイントは以下です。

僕はかねがね「自己検証、自己嫌悪、自己否定の三つがなければ、人間は進歩しない」と言っている。自己検証とは、自分の思考や行動を客観的に見直し、修正すること。自己嫌悪とは自意識過剰さや自己顕示欲を恥じ、自分の狡さや狭量さに苛立つこと。そして自己否定とは、自己満足を排し、成長してない自分や、自分が拠って立つ場所を否定し、新たな場所を手に入れることだ。
 
本を読めば、自分の人生が生ぬるく感じるほど、過酷な環境で戦う登場人物に出会える。その中で我が身を振り返り、きちんと自己検証、自己嫌悪、自己否定を繰り返すことができる。読書を通じ、情けない自分と向き合ってこそ、現実世界で使う自己を確立できるのだ。
 
仮に本を選ぶアドバイスをするとしたら、人間や社会の本質が書かれている、古典といわれる文学や神話をおすすめしたい。
 
何かを変えるためには、死んでもいいと覚悟を決めなくてはいけない
 
負の感情を経験したことがなければ、人のそれを見抜くことができない。
 
本には一人の人生変える力があることを自覚した。それを意識したからこそ、必然的に編集者という仕事に就いたのかもしれない。
高橋和巳の文章の登場人物たちは、みな苦しみ抜いて理念を貫こうとしている。それに比べ、自分の目の前の苦労はなんと些細なことか。高橋和巳の文学体験は、自分が無理、無謀を突破しようとするとき、大きな武器となった。
 
高校までの読書体験で実感したのは、人間が何かを達成するには、地獄の道を通らなければならないということだ。どんな美しい理想掲げても、実際に成し遂げるためには数多くの苦しみ、困難がある。何かを得るためには、必ず何か失う。代償を払わずして何かを得る事は不可能だ。この考え方は、現在に至るまで僕の根本に位置している。
 
人間は1つの人生しか生きられないが、読書をすれば無数の人生を体感できる。理想を掲げて生きていく主人公に心を通わせる。そうすることで社会の中で自分を客観的に見ることができる。
 
君はどう生きるのか?「マタイ伝」が吉本隆明にそう問かけたように『マチウ書試論』はそのことをこそ僕たちに問いかけている。
 
この世の戦いで負けるわけにはいかない。生き残ってしまった者の役割として、この世の醜さを、自分の出世や台頭で証明するしかない。そう自分自身に思い込ませている

 
ボクサーも自分の不安を打ち消すためには、「言葉」が必要なのだ。ボクサーが試合前に絞り出す赤裸々な「言葉」。それに僕は痺れる。ボクシングとはこれほどまでに精神的なスポーツなのだ。
 
誰だって全盛期があれば、衰退期も必ず訪れる。しかしピークを過ぎたあとでも、過去の栄光に浸るのではなく、暗闇でジャンプする。圧倒的努力と覚悟を持てば、どんな逆境でも巻き返せる
 
「売れるコンテンツの条件は、オリジナリティーがあること、極端であること、明解であること、癒着があること」
 
人が寝ているときに眠らないこと。人が休んでいるときに休まないこと。どこから始めていいかわからない、手がつけられないくらい膨大な仕事を一つ一つ片付けて全部やり切ること。それが圧倒的努力だ。
 
リスクとは、絶対に不可能なレベルに挑戦することをいう。
 
本とは単なる情報の羅列ではない。自分の弱さを思い知らされ、同時に自分を鼓舞する、現実を戦うための武器なのだ。
 
僕が続くことができなかった思想を貫いた者たちの生き方を思うたび、僕は一歩前に進む力を得ることができるのだ。ビジネスやトレーニングなど、彼らのレベルに比べたら生ぬるい
 
感想こそ人間関係の最初の一歩である。結局、相手と関係を切り結ぼうと思ったら、その人のやっている仕事に対して、感想を言わなければダメなのだ。その感想は、仕事をしている本人も気づいてないことを気づかせたり、次の仕事がしたくなるような刺激を与えたりしなければいけない。
 
言葉」は武器なのだ。豊富な読書体験を経なければ、武器となる言葉は獲得できない。人を動かすには、一にも二にも頭がちぎれるほど考えて、言葉を選択するしかないのだ。
 
並外れた想像力によって作家が築き上げた世界に、自分が共感できる美意識を見つけて欲しい。僕は石原慎太郎の作品を読んで、男として、時に本心をグッと飲み込み、結果で自分の存在意識を証明する生き方をすると決めた。
 
表現とは結局自己救済なのだから、自己救済の必要がない中途半端に生きている人の元には優れた表現は生まれない。ミドルは何も生み出さない。想像力は、圧倒的に持つ者と、圧倒的に持たざる者の頭の中にこそ生まれるのである。
 
文学とはそもそも作家の抑え切れない内部の衝動を表現したものだから、それを世間の間尺や共同体の倫理で評価しても仕方がない。
 
どんな社会も差別構造を持っているが、その差別はどこから来くるかと言えば、僕の考えでは「自然=時間=季節」から来る。季節があるから行事が生まれ、役割が決まり、それが差別を作り、物語を生むと言う構造だ。
 
恋愛を経験していない人間は、人としても奥行きがない。恋愛の最中は切なさと快楽甘さと苦さ葛藤と歓喜が目まぐるしく襲ってくる。そういった感情を経験すればするほど感覚が磨かれ研ぎ澄まされ思考は深まるのだ。恋愛は人を刹那と永遠のスイングに引きずり込み魅力的に輝かせる。
本物の表現者は例外なく「表現がなければ、生きてはいられない」という強烈な衝動を抱えていることだ。中上健次家が抱えてしまった血の蠢き、村上龍が抱えてしまった性の喘ぎ、、村上春樹が見てしまった虚無。宮本輝を動かす宇宙的不条理。そうしたものがあるからこそ、彼らは一心不乱に小説を書き、人々の心を動かしているのだ。
 
旅の本質とは「自分の貨幣と言語が通用しない場所に行く」と言う点にある。貨幣と言語は、これまでの自分が築き上げてきたものにほかならない。それが通じない場所に行くという事は、全てが「外部」の環境に晒されることを意味する。
 
最近『何でも見てやろう』や『深夜特急』に比肩すべき旅の作品に出会った。高一の夏休み、たった1人でソ連、東欧の旅に出た佐藤優の「十五の夏」である。旅の本質が見事に描き付くされている。
 
読書し尽くす、飲み尽くす、お金を使い尽くす。動き方が極端であればあるほど官能が生まれ文学的なメッセージを帯びる。狂ってこそ初めてわかることがある。
 
僕は恋愛小説こそが読書の王道だと考えている。恋愛小説には、人間の感情の全てが含まれているからだ。人を想う気持ちもそうだし、その過程で見つめざるを得ないエゴイズムもそうだ。その点で言えば、文学を最も純粋な形で味わおうと思ったら、恋愛がテーマになっているものを選ぶといい。
 
テクノロジーが発達した現代でも、というローテクなものの価値は失われていない。一心不乱に本を読み、自分の情念に耳を澄ます時間は、必ず自分の財産になる。だから、手軽に情報が取れるようになっただけになおさら、意識して読書の時間を捻出すべきだと僕は考えている。
 
僕は平和な日々よりも、悲痛な日々のほうが生きている実感を味わえる。ことごとく自分が願うもの成し遂げた上で、それでも全部を果たし切れずに、絶望し切って死にたい。この言葉は僕にとって劇薬である。絶望し切って死ぬために、「お前は今日1日を、最大限生きたのか」と問われているような気持ちになる。
 
成功」かどうかは自分の死の瞬間自分で決めるものだ。それまでは全部途中経過だ。貧しくても惨めに見えてもいい。自分が最期の瞬間、微かにでも笑えるならその人の人生は「成功」なのだ。
 
有識者でいるうちは理想や夢や希望を語っていれば、それでいい。しかし、読書で得た認識者への道筋は、矛盾や葛藤をアウフへーべンしなくては意味がない。それが「生きる」ということだ。認識者から実践者へ。天使から人間へ。読書から始まった長大な旅は、認識者を経て、人間へとジャンプする。共同体のルールを突破して個体の掟で現実を切り開く、地獄の前進へ。血を流し、風圧に耐えながら、自己実現の荒野へ。
【目次】
はじめに
第1章 血肉化した言葉を獲得せよ
第2章 現実を戦う「武器」を手に入れろ
第3章 極端になれ!ミドルは何も生み出さない
第4章 編集者という病い
第5章 旅に出て外部に晒され、恋に堕ちて他者を知る
第6章 血で血を洗う読書と言う荒野を突き進め
終わりに 

  

見城さんと付き合ってきた作家は錚々たるメンバーです。

 

五木寛之、石原慎太郎、村上龍、林真理子・・・

 

そして、坂本龍一、尾崎豊・・・

 

この人達と知り合うだけでも凄いのですが、見城さんは、毎晩飲み明かしたり、朝から晩までひたすらテニスをしたり、2人で旅行をしたりと、共に濃密な時間を過ごしています。

 

そこでは、編集者と作家の関係を超えた、人間対人間の付き合いがあったと思います。

 

それだけの人物と渡り合える見城さんも一流の才能の持ち主だと思います。

 

世の中は、理不尽なもの。

 

そんな世の中で、自分をきたえるのに一番良い読み物は恋愛小説だと言っています。

 

相手を想う気持ち、幸福感、エゴ、報われない現実。

 

恋愛により、想像力が豊かになるそうです。

 

いくつになっても、恋愛をすることで、若返ります。

 

恋愛してみませんか?(笑)

 

恋愛の必要性を知りたい方は、まずはこちらの本を読んでみて下さい。

 
また、この本は読み返すたびに刺さる場所が違う中身が詰まった本だと思います。
 
読書とは何か?を一度考えてみたい方もぜひ読んでみて下さい。

読書という荒野 (NewsPicks Book)

 

この本の編集者であり、見城さんの弟子箕輪康介氏の著書は下記です。

考え方がよく似ている事がよくわかります。

こちらもオススメです。

www.fukuikeita21.com

 最後までお付き合い頂きましてありがとうございました。