【1.本書の紹介】
日本社会の構造と、世界の共通の潮流について「言ってはいけない」級の事実を赤裸々に語っています。
著者は、データを示しながら、主張を展開します。
普段、気づかなかったことを、データと共に主張されると、ただ驚くしかありません。
言葉だけなら、「冗談でしょ?」で済む話ですが、キチンとしたデータがあると、ただ頷くしかありません。
そんなスタイルで、読者を引き込んでいきます。
まず驚かされたのが、雇用に関する洞察です。
「日本の労働市場の変化(18~54歳男女)」のグラフを見ると、正社員の変化がなく(1982年46%→2007年46%)、非正規社員が増加した事がわかります(1982年4%→2007年12%)。これは、リストラ、リストラと叫ばれながらも、正社員の雇用を守ってきた証だと主張しています。
「日本の労働市場の変化(22~29歳女性)」のグラフの変化見ると、無業者が減少し(1982年46%→2007年26%)、非正規社員が増加しています(1982年5%→2007年22%)。これは、家計の逼迫や価値観の変化により、彼女達が働こうを思った時、日本企業は途中採用正社員のハードルが高いため、非正規になるしかなかった為と推測しています。
「日本の労働市場の変化(22~29歳男性)」のグラフの変化を見ると、正社員の割合が減少し(1982年75%→2007年62%)、非正規社員の割合が増加しています(1982年4%→2007年15%)。これは、正社員を守るために若者が犠牲になった事を示していると主張しています。
まさか!と思う内容でも、データを示しながら主張されると、信じるしかありません。
驚く様な事実がズルズルと出てきます。
「言ってはいけない真実」をお楽しみ下さい。
【2.本書のポイント】
平成の日本の労働市場では、若者(とりわけ男性)の雇用を破壊することで中高年(団塊の世代)の雇用が守られたのです。日本経済の問題はITの投資が少ないことではなく、投資の成果が出ないことです。ITの導入が組織の合理化や労働者の技術形成をもたらさず、割高な導入コストや、異なったソフトウェアを導入した企業間の情報交換の停滞も相まって、生産性の停滞を引き起こしたというのです。日本的雇用システムでは労働市場の流動性が極端に低く、より効率的な(給料の高い)同業他社に転職することができない。たまたま新卒で入った会社の業績という「運、不運」で人生が左右されてしまいます。そしてまさに、これが「日本人(サラリーマン)の人生」なのです。働く環境を改善し、ひいては生産性の向上を実現するには、中高年に対して手厚く与えられている既得権益を打破しなければ、ダメだろう。中高年の働き方を見直し、働く意識が弱くなったと、いつも片付けられてしまう若者にこそ、働く機会を確保すること。それが本当の社会的公正なのである。(仕事の中の曖昧な不安 玄田有史)2000年代の日本には、働き方を見直す気もなく、「手厚く与えられている既得権」にしがみつく中高年がものすごくたくさんいました。言うまでもなく「団塊の世代」です。平成が「団塊の世代の雇用(正社員の既得権)を守る」ための30年だったとするならば、令和の前半は「団塊の世代の年金を守る」ための20年になる以外ありません。2040年を過ぎれば高齢化は徐々に下がっていく。だったらなぜ、わざわざ「改革」などと言う危険なゲームをしなければならないのか。これが「霞ヶ関の理論」。この持久戦に耐え抜けば「下級国民」があふれるより貧乏くさい社会が待っており、失敗すれば日本人の多くが難民化する「国家破産」の世界がやってくる。これが私たちが生きることになる令和の日本なのでしょう。教育の本質は「上級/下級」に社会を分断する「格差拡大装置」であることを、福沢諭吉を正しく理解していたのです。
男女の性戦略の非対称性によって男は「持てる=モテる」と「持たない=モテない」が一致しますが、女の場合は、社会的・経済的な成功と持てることには関係がありません。なんらかの方法で近親婚を回避しなくてはならない以上、同じ系統にあるボノボと同じようにサピエンスでも、思春期になると若い女性が冒険的になるように進化の過程で「設計」されている可能性は捨てきれません。「男女の性戦略の非対称性」の結果、男は年をとると友だちがいなくなり、女はいくつになっても新しい友達関係をつくることができます。一夫多妻制と言うのは、同時に複数の女性を妻にすることです。先進国で増えているのは、結婚と離婚を繰り返す「事実上の一夫多妻」です。ゆたかさを背景に価値観の大きな転換が起こります。それをひと言でいうなら、「私の人生は私が自由に選択する」です。リベラルな社会では、人々は「私が自由に生きているのだから、私の利益を犯さないかぎり、あなたも同じように自由に生きる権利がある」と考えるようになります。こうした「自己実現=自己責任」の論理は1960年代になるとアメリカに移植され、「自己啓発」として花咲くことになります。資本主義を肯定し、自由な社会で「自分らしく生きる」ことを称揚するこの新しい思想(ポジティブ心理学)では、人生を自らの時期において切り開くのであり、そこから得られる達成感こそが至高の価値とされたのです。誰もが自己実現できるリベラルの理想世界は、究極の自己責任の世界なのです。
ますます複雑になる社会の中で、ひとびとは人間関係に疲れてしまい、プライベートなときくらいは「ひとり」になりたいと思います。その結果、先進国の都市部を中心に「ソロ化」が急速に進んでいくのです。リスク社会では、ハイリスクな人生を「自由意志で」選択した個人の中から多くの「負け組」が出ることは避けられません。しかしもはや(リスクのない)身分制社会に後戻りすることができない以上、私たちは「リスク社会」を生きるほかないことを、ベックは早くも1980年代に指摘したのです。現代のさまざまな現象は、「自分以外に参照するものがなくなった」と言う再帰性から説明できるのです。ベックの「リスク社会」、ギデンズの「再帰的近代化」、バウマンの「液状化する現代」は同じひとつの現象について述べていることがわかります。それは「自由な個人が自己実現をする」という、これまでの人類史ではあり得ない「異常」な体験です。これからも共同体の解体は進行し、人間関係は学校や会社、軍隊などの固定的なものから、ネット上のコミュニティのような即興的な(気の合った時に集まり、イベントが終わると解散する)ものに変わり、仕事はフリーエージェントが集まってプロジェクト単位で行われるようになっていくはずです。そして、この劇的な変化に適応できない人たちがあちらこちらに吹きだまり、社会を大きく動揺させることになります。こうして「上級/下級」の分断を加速させる後期近代の光と影はますますくっきりと見えてくるのです。
世界はどんどん「リベラル化」しているにもかかわらず「右傾化」しているように見えるもう半分の理由は、先進国を中心に「知識社会」に適応できない人たちが増えているからです。アメリカの低学歴層の白人の死亡率が高い主な原因はドラック、アルコール、自殺で、これは「絶望死」と呼ばれています。彼ら/彼女たちはアメリカの「見捨てられたひとびと」であり、トランプはそれを「発見」して熱狂的な支持者に変えたことで、世界で最も強大な権力を手にしたのです。グローバル化によって数億人が貧困から脱出したことで、世界全体における不平等は急速に縮小しているのです。(大不平等 ブランコ・ミラノヴィッチ)世界が「全体として」ゆたかになった代償として、先進国の中間層が崩壊したのです。これが、私たちが経験していることです。アメリカでは民主党支持するリベラル派(青いアメリカ)と、共和党を支持する保守派(赤いアメリカ)の分裂が問題になっていますが、新上流階級は、政治的信条の同じ労働者階級よりも政治的信条の異なる上流階級と隣同士になることを好みます。チャールズ・マレーも、アメリカ社会は白人と黒人の人種対立ではなく、白人社会のなかでベルモント(新上流階級)とフィッシュタウン(新下流階級)に分断されていると論じました。知識社会では、人々は「知能」によって分断されるのです。私は、エニウェア族(新上流階級)を「リバタニア」、サムウェア族(新下流階級)を「ドメスティックス」と呼んでいます。「知識社会化・リベラル化・グローバル化」の大潮流の中で、「リバタニア」というグローバルなリベラル(自由主義者)の仮想共同体と、国や人種・民族、宗教ごとに分断された多くの「ドメスティックス」が生まれつつあります。現在を蝕む病は、脆弱なアイデンティティしか持てなくなったひとたちがますます増えていることです。私たちが暮らす「後期近代」のとてつもなくゆたか世界が、知識社会化・リベラル化・グローバル化の「三位一体」の巨大な潮流を生み出し、その勢いはますます強まっています。ーこの「とてつもない変化」が、先進諸国で同時多発的に同じような「問題」を引き起こしているのです。ポピュリズムとは「下級国民による知識社会への抵抗運動」です。「技術」と「魔術」の区別がつかなくなり、知能は意味を失って知識社会は終わることになります。このような未来をどのように生き延びて行けばいいのか。ひとつは、高度化する知識社会に最適化した人的資本を形成する戦略。もうひとつは、フェイスブックやツイッター、インスタグラムなどで多くのフォロアーを集め、その「評判資本」をマネタイズしていく戦略。
【目次】
まえがき
PART1・「下級国民」の誕生
1平成で起きたこと
2令和で起きること
PAART2・「モテ」と「非モテ」の分断
3日本のアンダークラス
4「モテ」と「非モテ」の進化論
PART3・世界を揺るがす「上級/下級」の分断
5リベラル化する世界
6「リバタニア」と「ドメスティックス」
エピローグ
あとがき
【3.本書の感想】
ショッキングな事が沢山書かれていますが、この事実は事実として、我々はこれを受け入れる必要があります。
「一夫多妻制と言うのは、同時に複数の女性を妻にすることです。先進国で増えているのは、結婚と離婚を繰り返す『事実上の一夫多妻』です。」というショッキングな記述がありました。
確かに、お金持ちや芸能界を見ていても、よく結婚と離婚を繰り返している人が多いですね。
著者はこれを「事実上の一夫多妻制」だと言っています。
これを補足するすると、上級国民は男性だけが多妻なのではなく、女性も多夫であるということです。
有名な歌手、女優さんなどを思い出すと、ご理解頂けると思います。
結婚離婚を繰り返すと言えば、米国人を思い出す人も多いかと思います。
そこで、下記データをご覧下さい。
これをみると、米国は、確かに離婚率が高い方ですね。
フィンランドやスウェーデンも離婚率が高くなっています。
これは、福祉が充実しているので、離婚しても子育てがしやすい為だと言われています。
ロシアの離婚率が高いのは、経済状況に加えて、酔っぱらいが多いからという冗談の様な話も聞きます。
一方日本は、離婚率は非常に低い方です。
最近は、昔に比べて離婚しやすくなってきたと言われていますが、世界で比べてみるととても低いようです。
このグラフではイタリアが一番離婚率が低いですが、イタリアはカトリックのお膝元ということもあり、離婚がしづらいようです。
しかし、婚姻率は他国に比べ低い(イタリア3.4、日本4.9 米国6.9)ため、その割には離婚率が高いとも言えます。
イタリア人は離婚をしない代わりに浮気や不倫も多いと言われています。
ジローラモみたいなちょいワルおやじがあふれているイメージですね。(笑)
フランスも比較的離婚しやすい国だと言われています。
離婚しやすい社会は個人の自由を尊重した社会だと表現している人もいますが、結婚するしない、離婚するしないによる、幸不幸感は個々人によって異なりますね。
日本で、離婚率が低いと言うのは、個人的には嬉しく思います。
この話題は、この資料だけでなく、他の資料をみながら多面的に話をしないとどうしても偏ってしまいます。
そんな訳で話が尽きませんのでこの辺にしたいと思います。
長くなりましたが、この本には、現代人として知っておくべき事実が書かれています。
是非、この本を読んで頂き、今起こっている事実を、そして、これから起こる事に備えて頂きたいと思います。
今ならなんとこの本が無料で聞けます!
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え!ちょっとショックな事が書いて言います。
家内安全を目指す方はこちらをどうぞ。
最後までお付き合い頂きありがとうございました!